心得と技術

 

空手道錬肚会(れんとかい)/葛飾ジュニア空手クラブの道場で稽古されている技術と心得についてのページです。

中学生以上の会員の向けに解説しています。

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【始めに】

空手の技術は、護身の技術です。

自分の身体、命を守る武術です。

 

空手の試合は、稽古や修行の1つとしてルールを決めて行われるもので、空手の本来の目的は、他人と技を競ったり、戦ったりする事ではありません。

 

空手の試合で禁止されている顔面攻撃や、金的攻撃、つかんでの攻撃は、空手の最大の武器で使用法を身につけなければ空手とはいえません。

 

護身のために行う空手に、ルールや反則という考えは存在しません。どんな状況でどのような攻撃を受けても自分を守れなくてはなりません。

 

相手は、複数かも知れません。暗がりで後ろから襲ってくるかも知れません。武器を持っているかも知れません。

このような時、相手に勝つ必要はありませんが、負けてはなりません。

負けることは身体や命の危険に繋がるので負けない技術が必要です。

勝たなくとも、逃げ出すチャンスを作り出すことができればよいのです。

それが、護身の技術です。

 

空手の稽古に終わりはありません。生涯を通じて探究していくもので、それだけの価値と魅力のあるものです。

 

稽古を続けていれば、後退はありません。必ず向上します。ただ、その速度は、とてもゆっくりとしたものです。

 

皆さんも共に極意を求めて稽古に励みましょう。

 


 

 

【護身の心得 1】

 

戦う前に

護身法としてまず始めに心がけるべき事は、常に体調を整えるという事です。

不調で高熱があったり、飲酒して泥酔状態であるということは、護身という観点から見れば不適格です。

 

そして、次に考える事は、危険な場所に近寄らない。危険な状況に遭遇しないようにするという事を、普段から心がけるという事です。

たとえば、外出先で道を歩いていて、不審な人物が向こうから歩いてくれば、道を譲ったり、危険を感じれば道を変えるくらいの気配りが必要です。

 

深夜遅くに外出しない、人気の無い場所に行かない、というような事も当然のことです。

耳にイヤーホンをして音楽を聴いたり、携帯メールをしながら道を歩くという行為は、非常に危険で襲ってくださいといっているようなものです。

外出時は、五感を十分に使って危険を察知すべきです。こういうと大変そうですが習慣化してしまえば、どうという事は有りません。

人間以外の動物は、犬でも猫でも常にそうしています。少しでも危険を感じれば、躊躇なく逃げ出します。

そして逃げ場が無ければ戦うのです。

 

常に危険に遭遇しないようにしていても危険な状況になってしまったら、例えば、暴漢に襲われたら....。

まず、第1に考える事は、その状況から脱出する事、つまり逃げ出す事です。

相手がたとえ弱そうでも戦ってはいけません。

話し合いで済むなら話す努力をすべきです。

何か武器を出すかもしれません。仲間が来るかもしれません。

 

それでも解決せず暴力を受けそうなときには.....。

戦う決意をします。

決意をしたら全力で戦わなくてはいけません。

手加減や躊躇は自分の命身体を危うくします。

 

まず最初に、武器になりそうな物をさがします。

手にしている傘、携帯電話、鉛筆なんでもかまいません。

落ちている石や砂を摑んで顔に投げつけるのも良いでしょう。

 

そして武器になるものが、手近に無い場合.....。

初めて素手で戦います。ここで初めて空手の登場です。

 

 

 

【護身の心得 2】

 

戦いの実際

悪意を持った相手との戦いが避けられぬとき、このような危険から身を守るべき場面では、スポーツ競技のように相手に勝つ必要は有りません。

負けなければ良いわけで、引き分けつまり勝負がつかない状態でも自分が安全なら良い訳です。

 

戦いの時間が長引けば、誰かが助けに来てくれるかも知れないし、警察官が駆けつけるかもしれません。

それだけ、助かる確率が上がるわけです。

 

戦いが、自分に有利に運べば、決着をつけるより、機を見てその場を立ち去るべきです。

あくまで、自分の身体、命を守る事が目的で、スポーツの試合のように勝ち負けを決める事が目的ではないという事です。

 

このような、身体、命を守るための戦いは、一度始めればどちらかが傷ついたり命の危険も有るわけで、

できるだけ戦わずに済むように普段から心がけるべきで、安易に戦いを始めてはなりません。

 

このような戦いは、生涯で1度有るか無いかの事だと思います

 


 

 

【道場稽古の意味】

 

現在、道場では護身技術の稽古として『護身組手』を行っています。

ゲーム感覚で身を守る身体の使い方を訓練します。

 

『護身組手』で使用できる動作は、次の3つです。

 ①相手の髪の毛を触る(軽く)

 ②相手の手首を掴む(2秒以上10秒まで)

 ③金的(下腹部)蹴り(寸前で止める)

上記の動作が決まれば1ポイントで、約30秒で多くポイントを取ったほうが勝ちとなります。

 

①の髪の毛を触るは、危険人物の攻撃は、圧倒的に顔面攻撃が多いので、その防御の訓練になります。

また、顔面への反撃も重要ですので同時に訓練します。髪の毛を目標とするので危険の無い仮想訓練ができます。

 

②の手首を掴むは、やはり危険人物は相手が子供や女子の場合手首を掴んで連れ去ろうとする事が多いので、その防御の訓練になります。逆に、危険人物に襲われた時に両手首を制すれば攻撃を受ける確率が大幅に減るので訓練します。

 

③の金的蹴りは、子供でも上手く当てれば大人の動きを一瞬止めることができる重要な技です。

 

繰り返して訓練し、いざという時に考えなくても自然に動けるようになる事が目標です。

 


 

 

【型と基本の意味 1】

 

空手の『型』は数多くあります。

私も数多くの型を稽古してきましたが、当道場では、2つの型を稽古しています。

数多くの型を稽古するより特に重要と思われる二つの型をみっちりと稽古するべきだというのが理由です。

 


 

 

『転掌』

この型には、多くの空手の技法がふくまれています。

それらを身に着ける事ももちろん大切ですが、この型の一番の目的は呼吸法にあります。

鼻からすばやく吸い、丹田を意識しながら喉を絞め腹圧を掛けながら口からゆっくりと吐きます。

上級者は、呼吸の事のみ考えその他の雑念は消していきます。

 

人は、心に動揺があれば身体は正しく動きません。これでは緊急時に護身技術が不確実になり危険です。

 

心の動揺を抑え安定させるには呼吸を整える必要があります。

心が動揺すると呼吸が乱れます。緊張や恐怖で呼吸が速くなったり荒くなるということは、誰でもでも経験した事があると思います。

 

また、試合などで絶好のチャンスに思わず息を呑み呼吸を止め、とんでもない動きをすることがあります。

このように心と身体と呼吸には密接な連帯関係があり心の乱れは、呼吸に現れます。

 

逆もまた真で、呼吸を整える事で心も安定に向かい体も上手くコントロールできるようになります。

呼吸は動作に合わせるというよりも、動作を、呼吸に合わせて行うべきで、呼吸を動きの元とすべきです。

『転掌』では、呼吸第1主義の訓練をします。

 

また、丹田を意識しながら喉を絞め腹圧を掛けながら口からゆっくりと吐くことにより、下腹部にある太陽神経叢(たいようしんけいそう/神経細胞の集まり)を刺激し、体内の自然治癒力を高め、諸病の予防、克服などに威力を発揮し、心の安定、活力化をはかります。

つまり、空手における心と身体の健康法というわけです。

また、実際に器官として存在するわけではない丹田という場所を意識する訓練をします。

 

ちなみに、当道場の名称『空手道錬肚会』の錬肚(れんと)とは肚(丹田)を練り上げる(鍛える)という事が空手道で最も大切であるとの考えから命名しました。

 


 

 

『ナイハンチ』

護身の技術は、接近戦の技術になります。不意に襲われればもみ合いになりほぼ身体を密着した状態になります。

『ナイハンチ』は、密着状態でも重心の安定を保てる足腰を作り上げます。

 

また、接近戦で重要な肘打ちやショートパンチなどが稽古できます。

『ナイハンチ』は、それぞれの技が非常に窮屈な状態で繰り出すようになり、初心の頃は効き目の有る様な技はだせません。どういうバランスや重心の移動で行えばよいか研究しながら稽古することが大切です。

 

これは、身体と心の内面の作業なのでアドバイスするのが非常に難しく長い年月の稽古が必要になります。

いわゆるコツというもので、自分で会得するしか有りません。

 

子どもが自転車に乗れるようにする練習と同じで理屈より経験で、たくさんの転倒や失敗の末徐々に身体が知っていくという事と同じです。

自転車の練習で、乗れるようになるのに期間の長短に差は有れ必ず乗れるようになるのと一緒で、空手の技というものも誰でも根気良く続ければ身につくものです。

 

全ての技が効くように行え重心バランスが保てるようにする事が『ナイハンチ』の目的で『転掌』が身体を作り上げる型だとすれば、『ナイハンチ』は技術の教科書といったところです。

 


  【基本稽古】

 

稽古の始めに行う【基本稽古】は、『ナイハンチ』や『転掌』の他、様々な型をばらばらに分解したもので、特に使われる頻度の高いものを抽出して作られています。

 

型の中で行う技が上手くできないときは、【基本稽古】をみっちり行う事で解決します。

型の動きの中で見逃してしまうような重心移動や呼吸、力の入れ方などを身に着けるには、【基本稽古】は重要です。

 

【基本稽古】にも幾つかの『コツ』のようなものがあり、それが発見できると非常に興味深く面白く思えてきます。

ただ、他人に伝えたり教えたりするのは大変困難なのは、先ほどの自転車の例のごとくです。

 

しかし、何年経っても向上するという事は楽しいものです。

 


 

 

【実戦訓練】

 

戦いの時、適度な緊張を保ち安定した心を持ち続けるには、どうしたらよいでしょうか。

 

身体運動では、リラックスの重要性がよく言われます。

異常な緊張状態で、戦いを始めると、精神的には、頭が固くなり柔軟な考えがしにくくなったり、

普段では考えられないような考えが浮かんだりします。

 

肉体的には、身体が強張り動きがぎこちなくなり、正確さを欠いたりします。

このような状態に陥ってしまえば、何年もかけた稽古の成果も発揮できません。

 

いったい、どうすれば良いのでしょう。

全ての武術家、アスリートの共通の問題です。

 

やはり、その鍵は、呼吸と丹田にあるのでは無いでしょうか。

呼吸を整え丹田に意識を集める事が重要と言いますが、異常な緊張状態下では、大変困難です。

 

やはり、訓練が必要で、つまり『慣れ』が必要と言う事です。

つまり、実戦に近い状態で緊張状態を経験しコントロールできるように訓練すると言う事です。

早い話が実戦経験を積むという事ですが、それは現実的ではありません。

 

他の方法はというと、ルールーを決めた試合に出場して擬似実戦を体験するという事が、かなり有効な方法です。

試合に出場できなければ道場内の稽古で実戦を想定して稽古することです。

 

たとえば、棒術の稽古時間に、たまに行う1本勝負の勝ち抜き戦などは、皆、かなり緊張しているようですので好ましいでしょう。

棍棒の勝ち抜き1本勝負は、数秒で勝負が決まるため非常に緊迫感があり、勝てばうれしいのはもちろんですが、負けると身体にダメージが無いためか、かなり悔しいので、負ける事へのプレッシャーがありそれが緊迫感をうむようです。

 

緊張状態での自分の思考状態、呼吸、力み具合などの確認ができます。

 

果たして、稽古と同じ動きができるでしょうか。

稽古中と同じく柔軟に頭脳が働くでしょうか。自分自身を実験台にしてさまざまな検証が行え、さらに向上、改善することができます。

 

このような実戦の擬似体験を通して心と身体をコントロールする訓練をすることは、大変大切な事です。

 


 

 

【緊張状態のメカニズム】

戦いの最中には、適度な緊張状態が集中力や闘争心を増し身体運動の手助けをしますが、緊張も度を越すと悪影響が出ます。極度の緊張状態下では、動きが正確さを欠いたり、スピードが鈍くなったりしますがそのメカニズムは、次のようなものです。

 例えば、腕を曲げる動作を例にとってみます。

腕を曲げるには、肘と肩の間にある上腕二頭筋(腕を曲げた時にできる力コブ)を収縮させ、同時にその裏側にある上腕三頭筋の力を抜き抵抗無く伸ばす必要があります。

 

片方の筋肉を収縮させ、もう片方の筋肉を弛緩させるという事ですが、異常な緊張状態に置かれ脳の命令系統が乱れたり、腕全体にに無駄な力みが入っていると、弛緩させるべき筋肉の弛緩が不十分で自ら動きにブレーキをかけている状態になり、結果、スピードが落ちたり、動きに正確さが無くなったりします。

 

このような二つの筋肉の関係を主働筋と拮抗筋と言いますが、身体運動ではこのコントロールが極度の緊張により乱れると言う事です。このように緊張状態の程度を調節する事が、重要になります。

 


 

 

【丹田】

新旧の武術書を見ると必ず『丹田』の重要性が説かれてます。

 

丹田は、へその少し下方の身体内部の部分を指し特にそこに器官が有るとかというわけでは有りません。

呼吸は丹田を意識する事は、『転掌』の章で述べました。

重心の移動も丹田から移動するようなイメージで行うと、全ての場合とは言い切れませんが、すばやく移動できる事が多い事も事実です。

 

また、空手の技に限らず多くの身体運動は、無駄な力みを不要としますが、丹田に意識を集中すると他の部分の力みが比較的和らぎ易いようです。

しかし、これらは必ず呼吸と連帯する必要があります。

身体の仕組みとは、複雑で奥が深いようです。

 


 

 

【礼儀作法】

空手の道場では、礼儀を教え込まれます。

 

礼儀とは、人間関係に措ける潤滑油のようなもので、挨拶もまともにできないような人間は、人から良く思われないのは当然で、礼儀を身につけた人間は、その分だけ人との無用なトラブルを起こす確立が下がります。

つまり、礼儀も広義での護身技術といえます。

 

礼儀とは、相手に不快な思いを与えない気配りと技術のようなもので社会人の必須アイテムです。

礼儀の重要性があまり理解できない子ども達に繰り返し教え込むのは、礼儀の大切さを身をもって理解している大人の役目でしょう。

 

絶えずトラブルを起こす人間というのは、それなりの雰囲気や原因が有るもので、礼儀の心と技術を身につける事でかなり改善するのではないでしょうか。

 

若い学生達には、うるさく感じるかも知れませんが、礼儀の心と技術を身に着ける事は、護身術としても空手道としても大切で必要な事です。

また、社会人として世に出るまでに礼儀作法を無意識に使いこなせるように訓練すべきです。